青春時代の清算を。

誰かとの出会いは、いつも書きかけのままで続きを探してる

黄昏

お題「カメラ」

 

昔の携帯をあさって恩師の電話番号を調べた金曜日

 

見ちゃうよね、画像フォルダ

 

 

忘れられない元彼。

一緒に笑う写真。

カメラ関係の仕事をしていたから

いつも撮り方や見せ方にこだわってたね

 

 

あれ、こんなに写真撮ってたんだって

自分でもびっくりするくらい。

 

 

今の旦那はカメラを向けると顔をそらす。

それが悪いとかいいとかじゃなく

10年後、あの頃のあなたはどんなだったっけ?

そんな思い出に浸れないのが少し寂しい。

 

 

無い物ねだりなんでしょうね

なんだかずいぶん、思い出してしまう

 

過去に戻ったとしても

私はあなたと別な道を歩むけれど

 

せめて別れ際に、ちゃんと顔を見てありがとうって伝えたかった

 

そうしたら、恋人じゃなくっても

また笑いあえたかもしれないね。

 

 

結婚して子供もいて

こんなことを考える私は愚かだ。

 

子供にも申し訳なく思う。

 

思い出すだけ、思い出に浸るだけ、それだけだから

誰にもいわないから許してほしい。

 

ねぇ

あの頃に言葉を送れるなら

 

今のあなたは私を思い出して、なんて言ってくれるかな?

遠く。

恋愛なんてものから

遠く離れてしまった三十路手前。

 

子供達といられれば充実感も欲求も

ほぼ満たされる幸せな毎日。

 

時々ふと考える。

独身時代の気ままな暮らしが思い出せない。

 

誰かのために生きるというのは

こういうことなんだと

子供たちに教えてもらった。

 

 

あの頃いくら愛してるだとか大好きだとか言っちゃったって

どうせ自分一番のお手軽なものだったんだな。

それほど育児というものは大変で、

親になるということはとってもとってもすごいことだった。

 

だからこそ立ち止まってしまう。

 

 

 

私の人生はどこいった?

 

親になったら自分の時間なんてないのが当然?

 

母親はしちゃいけないことがやまほどある?

 

 

 

日によって答えはバラバラで

毎日後悔や失敗の連続だ。

 

そんな立ち止まった時に支えてくれる

友達の存在が本当に本当に有難い

 

 

忘れかけてた独身時代の話し方や笑い方を

瞬時に思い出させてくれる

 

 

遠くなっても、戻れるから。

ダメ母といわれようが、まだまだ楽しむぞ。

 

 

私の人生も、わたしたちの人生も。

 

 

叶いもしない

おれ、ばななのこと

ずっと前から好きだったよ

 

そう突然告げられたのは 数日前の台風が通った日

 

憧れだった先輩。

お互いに既婚子持ち。

 

どんなつもりでいってんの?

そういって笑ってごまかすところなのに

 

わたしもずっと好きでした

 

ここまででてるのに

絶対に言えない言葉

 

せんぱい、ずるい

 

冗談とも取れるような言い方で

なんとでも言い訳できるように

そんなこと言うんだから

 

お互い自営業。馬鹿な真似はできない。

 

わたしは今まで一度も

その憧れてた手にすら触れたことがないのに

 

この先も、触れられないのに

 

そう思うと切なくなって

ますますどんな顔でバイバイしたらいいか、よくわかんなくなって

 

 

帰り際に後ろから抱きついてやればよかった。

 

ビックリした顔もかっこいいんだろうなぁ。

 

先輩のばーーーーか。

ハヤと出会い、世界が変わった。別れて15年経つけどまだ親友。

過去を思い出すにあたって、触れずには書けない人物がいる。

ハヤという2つ年上の男。

このブログの大テーマである青春時代の、大半を過ごした元カレであり、旦那と共通の友人でもある。そんな括りよりも兄妹と言ったほうがしっくりくるような関係。


はじまりは中学2年と高校1年。
当時出始めたメル友掲示板のようなもので、友人が見つけて紹介してくれた。
私はパソコンしかメールの環境がなかったので、メール受信を見逃さないようにとパソコンを開きっぱなしにしてワクワクしていた。

初デートは電車に乗って映画を見に行った。
リターナー、だったけ。邦楽のSFで、微妙にラブストーリーが盛られているものだった。もちろん、内容なんて全然入ってこない。

サイゼで食事をするのすら背伸びした行為だった。中学生と高校生だ、それでも頑張ったほうだと今は思う。

そのデートの後に、どちらからともなく付きあおうという事になり彼氏彼女になった。


大好きで、大好きで。世界は二人のものだった。何をするにもどこにいてもハヤのことしか頭になくて。月並みな言葉だけれど、本当にただ一緒にいるだけで幸せだった。
話し方も聴く音楽もそっくりで。なんでも一緒が良かったしなんでも一緒にしたかった。

別れる時もどちらからともなく自然に気持ちが離れていった。いつからか、当たり前にお互いを縛り合うような関係になってしまっていたんだ。男女共学で、ましてや私はバンドをやっていて。5年か6年か、付き合ったり別れたりを繰り返しながらハヤと私は彼氏彼女でいるのをやめたほうがいい関係でいられることに気がついた。


恋愛対象じゃなくなってからは、友達としてたくさん遊んだ。その間お互いいろんな人と恋をしたし、住んでいるところも変わったりしたけれど、時々更新される"最前線で遊ぶ友達リスト"から外れたことはない。


所謂元カレ・元カノという存在との関係は、新しい男女関係を築くとともに消滅するのが一般的な筋だろう。私もハヤも、いつかは絶たなければならない関係だと思っていたしそう話していたこともある。何度そう思っても、気がつけば隣で笑っているし、すぐに連絡がとれる環境が変わったことはない。

はじめから友達でもたぶんなにか違っていた。冷静に考えるととても奇妙な関係だけれど、ハヤとは切っても切れない腐れ縁なんだろうと思う。旦那がおもしろくないのかと思うとそうでもなく、元々旦那はハヤの親友で、出会いもそこからだった為なんの抵抗もないと言っている。第一子出産の時も二人で産院にお見舞いに来てくれた時は私が違和感を覚えた程だ。


私もハヤも、たくさん傷つけあってきた。

だけど、それ以上に
励まし合って笑い合って一緒に成長してきた。


きっと明日も、5年後も、20年後も変わらずに笑い合っているだろう。

そんな貴重な存在に出会えたことに感謝しつつ、
この奇妙な縁をこれからも大切にしていこうと思う。


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物心ついた時からバンドをやってきて

我が家の母は音楽家だ。
なにも名の売れた音楽家ではないけれど
80年代のバンドブームに女二人でフォークユニット(ゆずみたいなの)をやって、
地元で初めて自己出版のレコードを出した行動派だ。

オリジナル曲を人前で演奏する人は私からすればみんな音楽家だ。

それは、曲をつくる大変さも、人前で演奏する場を設けることも、
自ら一歩踏み出さないと出来ないことだと知っているから。

そんな母を見て育ち、3歳からピアノを習い始め、
公立だが、運良く音楽推進指定校に選ばれた小学校に入学した。

一回召喚するのにウン十万とかかる、
合唱の大先生も年に何度か登場したりした。


三つ子の魂百までも、とはよく言ったもので
楽器を演奏する、歌をうたう、曲を作る、という行為を日常にした私は、
今だに音楽に携わっている。


初めて曲を作ったのは小学校3年生の時だった。
バンドを組んだのもその頃。
楽譜やタブ譜を読めれば、簡素化してコピーをするのは簡単だった。
小学生でギターを弾くなんて珍しいと先生も嬉しがって、
なにかにつけて行事でギターを弾く機会を与えてくれた。

中学2年になる頃には、ライブハウスに出入りして、高校生とバンドを組んでいた。
友達からはバンドやってるのすごいとか、かっこいいとか。
ライブハウスに中学生で出演したのはあなたが初めてよ、なんて言われ天狗になっていた。
いつの間にか、バンドをやっている事に酔っていたのだ。

そんなんだから、技術や中身は全然進歩しないまま、
自分はすごいやつなんだと勘違いしてしまった。
不良のメンバーの真似をして、反抗期をこじらせた。

いつしかバンドマンは元がつくようになり、
毎日親の目を盗んでは夜中に抜け出し、無免許の先輩の車に乗り込んで。
本当にアホだった。勉強なり自分磨きなりすればよかった。
その時しか出来ないことがあったのに、背伸びして大人ぶって、
同級生からは鼻つまみ者にされ、先生からは厄介者にされ。
部活も真面目にでなくなって、そんなマイノリティな自分かっこいいなんて中二病全開になっていた。

小学5年の時にお年玉で買ったヤマハの赤いエレキギター。宝物だったのに。ヤンキー街道への乗車券にしてしまった。

そしてどこかで、このままではいけないと気がついて。先輩と縁を切って、高校受験に励んだ。
無事に公立の高校に入学した時、親は嬉し泣きをしていた。
総合学科で自分なりの時間割が組み立てられる学校だった。
もちろん、音楽を専攻して、学業優先の純粋に音楽を楽しむバンドも組んで。
また3年間音楽漬けの日々を送った。


卒業後もいろんなところでバンドを組んだりライブをやったり。
一時はプロを目指した事もあったけれど、そんな器ではなかった。

私は自分の限界を知っていた。
秀でた才能もなく、容姿も三流。
いろんな賞をもらったりもしたが、そんな人はこの世界にゴマンといる。


スタジオに入って音を合わせるだけで気持ちよくて。
たまにライブをやって、内輪で楽しむようなヌルい慣れ合いをして。


いつしか日常の軸だったバンド活動は、趣味になった。


なるようにしてなってきたことだ。
諦めたとか、挫折したという感覚はない。
そもそも音楽で食べていこうなんてことは「あわよくば」程度の心持ちだった。

音楽を趣味に出来ただけ、私は幸せだとも思っている。


そうして培ってきた経験と人脈で、今でも楽しいバンド活動ができている。
一時つるんでいた不良の先輩たちは、いつしかママ友という交友枠になった。


あの頃、社会不適合者の集まりだと思っていた、私も含むバカの集まりは、
仕事で役職がついたとか、子供が産まれただとか。
選挙の話や株価の話ができるほどオトナになった。

たまに昔に戻って、思い出話や下世話も共有できる素敵な関係だ。


物心ついた時からバンドをやってきて。趣味と仲間を手にできた。

今でも続きがある青春の1ページ。
私はこれからも大切にしていきたい。

13年一緒に生きた愛猫とお別れした話

※生死にに関わる内容を含みます。
感じ方によっては一部残酷な描写が含まれるので、
苦手な方はお読みにならないでください。

 

 

 

 

運命的な出会いはなにも人間に限ったことではない。
モノにも、場所にも、そしてペットにも。

青春時代を共に生きてきた愛猫がいた。ギギというオス猫。


いまでこそネットで検索が容易になり、ラグドールスノーシューという種類の猫の血統だったとわかったが、当時はハチワレの黒い顔をみて、皆口をそろえてシャムだといった。

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猫にしては大きくて、体の割に臆病で。



私にだけべったりで、ベッドでもお風呂でも、トイレですら膝の上に乗っていた。
誰が見ても母親だと勘違いしているんじゃないかと思うほど懐いていた。
お互いにお互いが大好きで、紛れも無く家族の一員だった。


私は思春期をこじらせて、自分を大切にできなかった時期があった。
今で言うメンヘラというのに片足を突っ込んでいた。
うまく生きられなくて、命を無駄にしようかと頭をよぎったこともあった。

そんな時、ギギのことを撫でていると、この子を置いていけない。なんてことを考えてしまったんだ、と思い留まれたんだ。
そもそもの覚悟が足らなかったと言われればそれまでだけれど、私は命の恩猫だと今でも感謝している。


そんなギギも、13歳でこの世を去った。
交通事故で、即死だった。

今は後任の猫を絶対に室内から出さないように飼っているが、
ギギを飼いはじめた20年近く前、ド田舎の風習では外に出さないほうが虐待のように扱われ、なんの疑問も持たずに散歩に出していた。事故にもあわず、車通りも少なかったので、そのままずっと「出たい」といわれれば外出させていた。100%私の責任である。

近所のおばあちゃんが最期の時を教えてくれた。


最期まで親孝行な猫だった。

傷一つないキレイなままで、眠っているかのようにそこにいた。


例えどんな姿でも抱きかかえられたけれど。
まだ温度の残る、いつもと変わり無いようで全く違うギギを、
ついさっきもしたように、抱きしめた。


月並みな言葉だけれど、実感はわかず、涙も出なかった。

生後7ヶ月になった息子が不思議そうにしていた。
室内飼いの後輩猫は、箱に眠ったギギに寄り添って離れなかった。

理解できていないのは、私だけ。
何度も何度も自分を責めた。
油断していたんだ。今まで大丈夫だったから、って。


自治体の共同墓地で、火葬と埋葬をお願いした。
体重を測るとき、最期のお別れをしてくださいと職員さんは言った。

連れて来る前に、形見に少し毛を残してきたけれど

そんなんじゃない

そんなんじゃ




これで さいごなんだ。



初めて涙が出てきた。

あふれるような、という表現を初めて体感した。

本当にあふれて止まらないんだ。思い出も全部。


「長いこと、家族だった子です。どうか、優しく扱ってください」

そう言うのが精一杯だった

わかりました、大切にお預かりしますと言ってくれた職員さんにお願いして

私はギギとさよならをした。



あれから一度だけ夢に出てきてくれて
抱きしめて、ありがとうを伝えて

不思議と気持ちが軽くなった。
きっとお別れをしにきてくれたんだろう。

都合のいい解釈かもしれないけれど、
本当にあの夢に救われたんだ。

いまでも、呼びかければ帰ってきてごはんをせがんでくれるような気がしてる。

生まれ変わって本当の子供になってよ、なんて思ったりもする。


13年間ありがとう、ギギちゃん。

あの大切な日々の事を、ずっとずっと忘れない。

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運命か、偶然か

4日前の記事。
痴情のもつれで絶縁になってしまった親友との、思い出話を書いた。

 

bananag.hateblo.jp

 今日、地元ですれ違ったんだ。
何年ぶりだろう?きっと10年は経っている。

私は声をかけることができず、モヤモヤとしながら夜を迎えた。

声をかけるべきだったのか、これでよかったのか。
10年の月日は、二人の問題を薄めてくれたけれど
二人の絆も一緒に薄めてしまったようだ。

今更なんて声をかければいい?
自分勝手に縁を切っておきながら、また自分勝手に相手を混乱させてしまうなんて都合が良すぎる。

彼女は幸せそうに笑っていた。


私はそれだけでいいやと思ったんだ。



まさか、このタイミングで会うなんて。
言霊だとか、虫の知らせだとか、そんな迷信じみた事は信じていなかったけど、今日のことは衝撃的で、そんな言葉も借りてしまいたくなるほどだった。

運命か、偶然か。
いつかわかるのか、これが最後なのか。
小さな選択が明日を創っていく。私は、彼女がいない明日を選んだ。



一歩を踏み出せなかったけれど、後悔はしていない。
今はまだその時じゃないって、なんとなく肌で感じた。
縁があれば、また不思議なチカラが働いてくれる気がするんだ。

運命も偶然も、考えたってわからないから、天に身を任せて今日も身近な人をめいいっぱい大切にしよう。


いつかまた、笑い合えたらいいなぁ。



なんだかまだ眠れそうにないからYouTubeでも開こう。
おやすみ、また明日。

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