青春時代の清算を。

誰かとの出会いは、いつも書きかけのままで続きを探してる

ハヤと出会い、世界が変わった。別れて15年経つけどまだ親友。

過去を思い出すにあたって、触れずには書けない人物がいる。

ハヤという2つ年上の男。

このブログの大テーマである青春時代の、大半を過ごした元カレであり、旦那と共通の友人でもある。そんな括りよりも兄妹と言ったほうがしっくりくるような関係。


はじまりは中学2年と高校1年。
当時出始めたメル友掲示板のようなもので、友人が見つけて紹介してくれた。
私はパソコンしかメールの環境がなかったので、メール受信を見逃さないようにとパソコンを開きっぱなしにしてワクワクしていた。

初デートは電車に乗って映画を見に行った。
リターナー、だったけ。邦楽のSFで、微妙にラブストーリーが盛られているものだった。もちろん、内容なんて全然入ってこない。

サイゼで食事をするのすら背伸びした行為だった。中学生と高校生だ、それでも頑張ったほうだと今は思う。

そのデートの後に、どちらからともなく付きあおうという事になり彼氏彼女になった。


大好きで、大好きで。世界は二人のものだった。何をするにもどこにいてもハヤのことしか頭になくて。月並みな言葉だけれど、本当にただ一緒にいるだけで幸せだった。
話し方も聴く音楽もそっくりで。なんでも一緒が良かったしなんでも一緒にしたかった。

別れる時もどちらからともなく自然に気持ちが離れていった。いつからか、当たり前にお互いを縛り合うような関係になってしまっていたんだ。男女共学で、ましてや私はバンドをやっていて。5年か6年か、付き合ったり別れたりを繰り返しながらハヤと私は彼氏彼女でいるのをやめたほうがいい関係でいられることに気がついた。


恋愛対象じゃなくなってからは、友達としてたくさん遊んだ。その間お互いいろんな人と恋をしたし、住んでいるところも変わったりしたけれど、時々更新される"最前線で遊ぶ友達リスト"から外れたことはない。


所謂元カレ・元カノという存在との関係は、新しい男女関係を築くとともに消滅するのが一般的な筋だろう。私もハヤも、いつかは絶たなければならない関係だと思っていたしそう話していたこともある。何度そう思っても、気がつけば隣で笑っているし、すぐに連絡がとれる環境が変わったことはない。

はじめから友達でもたぶんなにか違っていた。冷静に考えるととても奇妙な関係だけれど、ハヤとは切っても切れない腐れ縁なんだろうと思う。旦那がおもしろくないのかと思うとそうでもなく、元々旦那はハヤの親友で、出会いもそこからだった為なんの抵抗もないと言っている。第一子出産の時も二人で産院にお見舞いに来てくれた時は私が違和感を覚えた程だ。


私もハヤも、たくさん傷つけあってきた。

だけど、それ以上に
励まし合って笑い合って一緒に成長してきた。


きっと明日も、5年後も、20年後も変わらずに笑い合っているだろう。

そんな貴重な存在に出会えたことに感謝しつつ、
この奇妙な縁をこれからも大切にしていこうと思う。


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物心ついた時からバンドをやってきて

我が家の母は音楽家だ。
なにも名の売れた音楽家ではないけれど
80年代のバンドブームに女二人でフォークユニット(ゆずみたいなの)をやって、
地元で初めて自己出版のレコードを出した行動派だ。

オリジナル曲を人前で演奏する人は私からすればみんな音楽家だ。

それは、曲をつくる大変さも、人前で演奏する場を設けることも、
自ら一歩踏み出さないと出来ないことだと知っているから。

そんな母を見て育ち、3歳からピアノを習い始め、
公立だが、運良く音楽推進指定校に選ばれた小学校に入学した。

一回召喚するのにウン十万とかかる、
合唱の大先生も年に何度か登場したりした。


三つ子の魂百までも、とはよく言ったもので
楽器を演奏する、歌をうたう、曲を作る、という行為を日常にした私は、
今だに音楽に携わっている。


初めて曲を作ったのは小学校3年生の時だった。
バンドを組んだのもその頃。
楽譜やタブ譜を読めれば、簡素化してコピーをするのは簡単だった。
小学生でギターを弾くなんて珍しいと先生も嬉しがって、
なにかにつけて行事でギターを弾く機会を与えてくれた。

中学2年になる頃には、ライブハウスに出入りして、高校生とバンドを組んでいた。
友達からはバンドやってるのすごいとか、かっこいいとか。
ライブハウスに中学生で出演したのはあなたが初めてよ、なんて言われ天狗になっていた。
いつの間にか、バンドをやっている事に酔っていたのだ。

そんなんだから、技術や中身は全然進歩しないまま、
自分はすごいやつなんだと勘違いしてしまった。
不良のメンバーの真似をして、反抗期をこじらせた。

いつしかバンドマンは元がつくようになり、
毎日親の目を盗んでは夜中に抜け出し、無免許の先輩の車に乗り込んで。
本当にアホだった。勉強なり自分磨きなりすればよかった。
その時しか出来ないことがあったのに、背伸びして大人ぶって、
同級生からは鼻つまみ者にされ、先生からは厄介者にされ。
部活も真面目にでなくなって、そんなマイノリティな自分かっこいいなんて中二病全開になっていた。

小学5年の時にお年玉で買ったヤマハの赤いエレキギター。宝物だったのに。ヤンキー街道への乗車券にしてしまった。

そしてどこかで、このままではいけないと気がついて。先輩と縁を切って、高校受験に励んだ。
無事に公立の高校に入学した時、親は嬉し泣きをしていた。
総合学科で自分なりの時間割が組み立てられる学校だった。
もちろん、音楽を専攻して、学業優先の純粋に音楽を楽しむバンドも組んで。
また3年間音楽漬けの日々を送った。


卒業後もいろんなところでバンドを組んだりライブをやったり。
一時はプロを目指した事もあったけれど、そんな器ではなかった。

私は自分の限界を知っていた。
秀でた才能もなく、容姿も三流。
いろんな賞をもらったりもしたが、そんな人はこの世界にゴマンといる。


スタジオに入って音を合わせるだけで気持ちよくて。
たまにライブをやって、内輪で楽しむようなヌルい慣れ合いをして。


いつしか日常の軸だったバンド活動は、趣味になった。


なるようにしてなってきたことだ。
諦めたとか、挫折したという感覚はない。
そもそも音楽で食べていこうなんてことは「あわよくば」程度の心持ちだった。

音楽を趣味に出来ただけ、私は幸せだとも思っている。


そうして培ってきた経験と人脈で、今でも楽しいバンド活動ができている。
一時つるんでいた不良の先輩たちは、いつしかママ友という交友枠になった。


あの頃、社会不適合者の集まりだと思っていた、私も含むバカの集まりは、
仕事で役職がついたとか、子供が産まれただとか。
選挙の話や株価の話ができるほどオトナになった。

たまに昔に戻って、思い出話や下世話も共有できる素敵な関係だ。


物心ついた時からバンドをやってきて。趣味と仲間を手にできた。

今でも続きがある青春の1ページ。
私はこれからも大切にしていきたい。

13年一緒に生きた愛猫とお別れした話

※生死にに関わる内容を含みます。
感じ方によっては一部残酷な描写が含まれるので、
苦手な方はお読みにならないでください。

 

 

 

 

運命的な出会いはなにも人間に限ったことではない。
モノにも、場所にも、そしてペットにも。

青春時代を共に生きてきた愛猫がいた。ギギというオス猫。


いまでこそネットで検索が容易になり、ラグドールスノーシューという種類の猫の血統だったとわかったが、当時はハチワレの黒い顔をみて、皆口をそろえてシャムだといった。

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猫にしては大きくて、体の割に臆病で。



私にだけべったりで、ベッドでもお風呂でも、トイレですら膝の上に乗っていた。
誰が見ても母親だと勘違いしているんじゃないかと思うほど懐いていた。
お互いにお互いが大好きで、紛れも無く家族の一員だった。


私は思春期をこじらせて、自分を大切にできなかった時期があった。
今で言うメンヘラというのに片足を突っ込んでいた。
うまく生きられなくて、命を無駄にしようかと頭をよぎったこともあった。

そんな時、ギギのことを撫でていると、この子を置いていけない。なんてことを考えてしまったんだ、と思い留まれたんだ。
そもそもの覚悟が足らなかったと言われればそれまでだけれど、私は命の恩猫だと今でも感謝している。


そんなギギも、13歳でこの世を去った。
交通事故で、即死だった。

今は後任の猫を絶対に室内から出さないように飼っているが、
ギギを飼いはじめた20年近く前、ド田舎の風習では外に出さないほうが虐待のように扱われ、なんの疑問も持たずに散歩に出していた。事故にもあわず、車通りも少なかったので、そのままずっと「出たい」といわれれば外出させていた。100%私の責任である。

近所のおばあちゃんが最期の時を教えてくれた。


最期まで親孝行な猫だった。

傷一つないキレイなままで、眠っているかのようにそこにいた。


例えどんな姿でも抱きかかえられたけれど。
まだ温度の残る、いつもと変わり無いようで全く違うギギを、
ついさっきもしたように、抱きしめた。


月並みな言葉だけれど、実感はわかず、涙も出なかった。

生後7ヶ月になった息子が不思議そうにしていた。
室内飼いの後輩猫は、箱に眠ったギギに寄り添って離れなかった。

理解できていないのは、私だけ。
何度も何度も自分を責めた。
油断していたんだ。今まで大丈夫だったから、って。


自治体の共同墓地で、火葬と埋葬をお願いした。
体重を測るとき、最期のお別れをしてくださいと職員さんは言った。

連れて来る前に、形見に少し毛を残してきたけれど

そんなんじゃない

そんなんじゃ




これで さいごなんだ。



初めて涙が出てきた。

あふれるような、という表現を初めて体感した。

本当にあふれて止まらないんだ。思い出も全部。


「長いこと、家族だった子です。どうか、優しく扱ってください」

そう言うのが精一杯だった

わかりました、大切にお預かりしますと言ってくれた職員さんにお願いして

私はギギとさよならをした。



あれから一度だけ夢に出てきてくれて
抱きしめて、ありがとうを伝えて

不思議と気持ちが軽くなった。
きっとお別れをしにきてくれたんだろう。

都合のいい解釈かもしれないけれど、
本当にあの夢に救われたんだ。

いまでも、呼びかければ帰ってきてごはんをせがんでくれるような気がしてる。

生まれ変わって本当の子供になってよ、なんて思ったりもする。


13年間ありがとう、ギギちゃん。

あの大切な日々の事を、ずっとずっと忘れない。

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運命か、偶然か

4日前の記事。
痴情のもつれで絶縁になってしまった親友との、思い出話を書いた。

 

bananag.hateblo.jp

 今日、地元ですれ違ったんだ。
何年ぶりだろう?きっと10年は経っている。

私は声をかけることができず、モヤモヤとしながら夜を迎えた。

声をかけるべきだったのか、これでよかったのか。
10年の月日は、二人の問題を薄めてくれたけれど
二人の絆も一緒に薄めてしまったようだ。

今更なんて声をかければいい?
自分勝手に縁を切っておきながら、また自分勝手に相手を混乱させてしまうなんて都合が良すぎる。

彼女は幸せそうに笑っていた。


私はそれだけでいいやと思ったんだ。



まさか、このタイミングで会うなんて。
言霊だとか、虫の知らせだとか、そんな迷信じみた事は信じていなかったけど、今日のことは衝撃的で、そんな言葉も借りてしまいたくなるほどだった。

運命か、偶然か。
いつかわかるのか、これが最後なのか。
小さな選択が明日を創っていく。私は、彼女がいない明日を選んだ。



一歩を踏み出せなかったけれど、後悔はしていない。
今はまだその時じゃないって、なんとなく肌で感じた。
縁があれば、また不思議なチカラが働いてくれる気がするんだ。

運命も偶然も、考えたってわからないから、天に身を任せて今日も身近な人をめいいっぱい大切にしよう。


いつかまた、笑い合えたらいいなぁ。



なんだかまだ眠れそうにないからYouTubeでも開こう。
おやすみ、また明日。

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one

携帯電話をまだ持てない年齢の時から、ネット上に日記を毎日毎日気持ちを綴ってきた。

 

わたしにとってここは、誰にも言えない心の内をいつでも話せる友人であり、健忘録であり、育児記録でもある貴重な城だ。

ブログって儲かるの?なんて聞かれるけれど、普通にお勤めしていたほうがよっぽど稼げるし、何より求めてもいない批判で心を痛めたりするので、何度もやめようかと思った。

そのたびにそっと日記帳に鍵をかけ、引き出しにしまう。


何事にも逃げ腰で、意志が弱い。批判されて当然の負け犬だ。


パソコンメモ帳にでもグチグチ書いていればいいのに、ブログというものは不思議と麻薬性があり、また忘れた頃に新しい日記帳を開いてしまう。

 

年を重ねるにつれて、他人の評価や体裁を気にすることを覚えた。
そして本音というものはほとんど前に出てこなくなった。

というよりも、自分の意見というものが無くなるほど感情や感覚が薄くなってきたのだ。

そんな風に「面倒くさくない自分」を装って、誰かと関わり合う。
目立たず、嫌われず、指を刺されないように。余計な一言を言わないように。

 

ぬるま湯に浸かるように慣れ合っていれば、苦しくなることもない。

10代の頃は、気持ちの変化も、表情も、もっと素直で豊かだった。
テレビの奇跡スペシャルでは隣に誰かがいても涙を流せたし、
不機嫌な顔を平気で振りまいて、それは違う おもしろくないと噛み付いたりした。

親友も、彼氏も、先生ですら、喧嘩をして仲直りできる関係が私には心地よかった。


社会に出て、自分の気持ちと耳と口に防波堤を建てられるようになってからは、生きるのが楽になった。だけどどこか寂しい気もする。

だんだんと他人の言動や行動に動かされないようになり、相手からの自分の評価を気にしなくなり、荒波が立たぬよう、事なかれ主義になって。


それだけ、日々歯車として生きていくことに精一杯なのかもしれない。


青春時代の事を思い出し思い出し書いているけれど、決して過去に縋っているわけではない。今この生活がなによりも大切で、子供の成長が愛おしくて、旦那のことも大好きだ。魔法使いに「10代に戻れるよ」と言われても決して戻りはしない。


いつの間に私の青春時代は通り過ぎて行って、いつの間に大人になったのか。

思い出す暇もなく、わからないまま慌ただしく朝と夜を繰り返しているけれど


わたしのどこかで、まだ燻っている。

それがなんなのか、答えを探しているのかもしれない。



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ロリコンの彼と

初めて同棲した彼氏の話。

20代になりたての頃、初めて地方都市で一人暮らしをした。

右も左もわからない、専門学校中退の田舎者。
夢を持って、未来は輝かしいものと信じきって、ほぼ着の身着のまま、家賃3万円のボロアパートを契約した。


その同時期に、バイト先でお客さんとして来た彼に出会った。堅い職業に就く、6歳年上の彼。

すべて中途半端に生きてきた世間知らずの私にとって、彼はとてもとても大人で。彼から見れば、捨て猫を拾うような感覚だったのだろう。帰り道がわからなくなって橋の下で野宿するしかなくなった私を、拾ってくれた。
それからすぐに惹かれ合って、すぐに恋に落ちて、彼の住む一等地のマンションに転がり込んだ。




もちろん一筋縄にはいかず、大なり小なり問題は常にあった。
だけど彼とは、いろんな面でとても相性が良くて、素のままの精神状態をさらけ出せたし、社会経験もままならない私は、多くのことを彼から学ばせてもらったんだ。




だけどどうしても許容できない問題に陥ってしまった。彼は所謂ロリコンだったのだ。

それは性癖としての嗜好があるだけのことで。そういったビデオや写真で満足できる、実生活には支障をきたさないし、影響もない、と彼は言っていた。



結果、3年経っても私は許すことができずに、だんだんと心が離れてしまった。

若すぎる故に判断を間違ったのか、正しい判断をしたのかは未だにわからない。

だけど、それを知ってからというもの

一緒に街を歩き、小中学生とすれ違うたびに
テレビで見るたびに
雑誌で目にするたびに


『こんな子供に欲情するんだ』


そう思うと、頭から離れなかった。



どうしたって、私は老いてしまう。年を重ねるたびに、きっとつらくなってしまう。

永遠に小中学生の存在を恐れながら生きていくことになる気がして。耐えられなくて、別れてしまった。



彼と別れて、マンションを出ると、私はあまりに無力であったことを思い知らされた。

社会的地位もない。一等地のオートロックマンションも借りられない。せいぜい家賃4万円の、木造のアパートがいいところ。賃貸の価値で、人間の価値も測られているような気がした。




だけど心は晴れていた。もう無理して若いこ向けのブランドを着て気を引くことも、目にする中学生に競争心を燃やすこともない。

そんなこと、彼が望んでいたわけではなかったけれど

知らず知らずのうちに、そうしていた悪い癖。



高学歴だろうと高収入だろうと、精神衛生的に穏やかでいられない相手との生活はいかに苦痛であったかを実感した。きっともう、私がその性癖に気がついた時に、心地のいい関係は破錠していたんだろう。



あれから何年も経つけれど、あんなに話し込んでいて楽しい人には、同性でも異性でも出会えていない。


風の便りで結婚したことを聞いた頃には、私は子供が1歳を迎えようとしていた。

すべて終わった後だけど、また1つなにかが終わった気がした。




別れの時に『同性の友達だったならどんなによかったか』と言われたんだ。あの時は意味がわからなかったけれどなんとなくわかった気がする。

そして、いつしか出会った頃の彼の年齢を超えてしまった。


あの頃の彼と比べたら

社会的にも、人間的にも、
足元にも及ばないかもしれないけれど。


いつか、もしももう一度、彼に会うことがあったなら、いい人間になったなと思ってもらえるように

私は今日も自分を磨いている。

青春時代


いつの間にか過ぎ去ってしまった青春時代を振り返ると、

情熱的な恋愛も、

あれほど一緒だった友情も、

どれも終わりは曖昧で。



気がつけば30歳を目前にし、家庭を持ち、働いて。所謂”人並み”と言われる生活を送っている。



10代の頃から今の自分を比べると、相変わらずダイエットは成功していないし、部屋も汚い。秀でた才能もなく、誇れる経歴なんてものも特にない。



ただ、振り返ると輝かしい青春が確かにあった。




知らず知らずに失くしたもののなかで、
一番喪失感の大きかったものは、アカネという女友達だ。



中学2年から高校卒業までの5年間、女4人でバンドをやっていた。
練習は週1回、電車に乗ってスタジオへ行き、月に1度のペースでライブをやったし、遠征したりもして。



あの頃はバンドがすべてだった。毎日毎日一緒だった。名画スタンド・バイ・ミーの主人公にでもなったかのような気分で、4人でいればなんでもできる気がしたし、それだけでよかった。



そんな4人の仲も、卒業とそれぞれの進路で分岐点に差し掛かかる。それでもこの友情は絶対に壊れない。大人になっても、どこかで時間を合わせていつでも会えると。



そう、信じて疑わなかった。


なのに。

壊したのは私だった。





18歳。 2年程付き合っていた彼氏がいた。
私の勝手な心の移り変わりで、別れるか続けるか、曖昧な関係になっていたんだ。

都合よくキープしたくないから、なんて言いながら、それでも戻ってきてと言ってくれる彼氏に甘えきっていて、寂しくなれば連絡した。相手の気持も考えられないほど、脳内がお花畑な最低な女だった。




傷つけたのも、裏切ったのも私。


その時期に、アカネはその彼氏と、寝た。




お花畑の脳内で、起こったことを処理できなかった。


親友が。彼氏と。まさか。


私は自分がしたことを棚に上げ、残った意地をすべてかけて彼氏の部屋に残してきた私物を取りに行った。いや、奪いに行ったと言ったほうがいいほどの勢いで。

寒い寒い3月の夜。たぶん泣いていた。その時隣の部屋にアカネが隠れていて。
あわよくば最後くらい、二人の言葉でさよならを言えたら、なんて思っていたのに。


こんな惨めな姿、なんて滑稽なんだろう。敗者の烙印が押された気がした。
あぁ、あんた、こんな時まで完璧だよ。これで私は彼との最後の瞬間まで、騒ぐことも泣くことも留まることも許されない。敵いっこないよ。余計に悲しくなった。
負け犬が帰った瞬間、私をネタに二人はもっと近づくんだろう。



これで二人が付き合うなりするのならば、私が悪者になってしまえばハッピーエンドだけれど。
アカネからすれば、単なる遊びでの関係だった。ちゃんと付き合っていた彼氏がいたし、翌週には東北の片田舎から東京に進学してしまう。




それが余計に許せなかった。

一時の遊びでのゴタゴタをこの土地に置いて

自分だけ心機一転新生活なんて。





そうして、私はアカネに縁を切る宣言メールを送った。
嫌だと言っていたけど、もう無理だった。



この中で一番最低なのは私なのに。口を出す権利なんてないのに。
そしてわたしはアカネという親友を失った。

あれから何年経っただろう。未だに一度も連絡はない。私もしていない。




書きかけのまま私が勝手に強制終了してしまった4人の物語を思い返すと

失ってしまったアカネの存在はとても、とても大きくて。



あんなことを言わなければ
早めに謝って和解していれば

今年の夏も笑って4人で集まっていたのかな。



こうしてわたしの大切な青春の1つは、後味の悪いまま幕を閉じたのであった。