青春時代の清算を。

誰かとの出会いは、いつも書きかけのままで続きを探してる

one

携帯電話をまだ持てない年齢の時から、ネット上に日記を毎日毎日気持ちを綴ってきた。

 

わたしにとってここは、誰にも言えない心の内をいつでも話せる友人であり、健忘録であり、育児記録でもある貴重な城だ。

ブログって儲かるの?なんて聞かれるけれど、普通にお勤めしていたほうがよっぽど稼げるし、何より求めてもいない批判で心を痛めたりするので、何度もやめようかと思った。

そのたびにそっと日記帳に鍵をかけ、引き出しにしまう。


何事にも逃げ腰で、意志が弱い。批判されて当然の負け犬だ。


パソコンメモ帳にでもグチグチ書いていればいいのに、ブログというものは不思議と麻薬性があり、また忘れた頃に新しい日記帳を開いてしまう。

 

年を重ねるにつれて、他人の評価や体裁を気にすることを覚えた。
そして本音というものはほとんど前に出てこなくなった。

というよりも、自分の意見というものが無くなるほど感情や感覚が薄くなってきたのだ。

そんな風に「面倒くさくない自分」を装って、誰かと関わり合う。
目立たず、嫌われず、指を刺されないように。余計な一言を言わないように。

 

ぬるま湯に浸かるように慣れ合っていれば、苦しくなることもない。

10代の頃は、気持ちの変化も、表情も、もっと素直で豊かだった。
テレビの奇跡スペシャルでは隣に誰かがいても涙を流せたし、
不機嫌な顔を平気で振りまいて、それは違う おもしろくないと噛み付いたりした。

親友も、彼氏も、先生ですら、喧嘩をして仲直りできる関係が私には心地よかった。


社会に出て、自分の気持ちと耳と口に防波堤を建てられるようになってからは、生きるのが楽になった。だけどどこか寂しい気もする。

だんだんと他人の言動や行動に動かされないようになり、相手からの自分の評価を気にしなくなり、荒波が立たぬよう、事なかれ主義になって。


それだけ、日々歯車として生きていくことに精一杯なのかもしれない。


青春時代の事を思い出し思い出し書いているけれど、決して過去に縋っているわけではない。今この生活がなによりも大切で、子供の成長が愛おしくて、旦那のことも大好きだ。魔法使いに「10代に戻れるよ」と言われても決して戻りはしない。


いつの間に私の青春時代は通り過ぎて行って、いつの間に大人になったのか。

思い出す暇もなく、わからないまま慌ただしく朝と夜を繰り返しているけれど


わたしのどこかで、まだ燻っている。

それがなんなのか、答えを探しているのかもしれない。



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ロリコンの彼と

初めて同棲した彼氏の話。

20代になりたての頃、初めて地方都市で一人暮らしをした。

右も左もわからない、専門学校中退の田舎者。
夢を持って、未来は輝かしいものと信じきって、ほぼ着の身着のまま、家賃3万円のボロアパートを契約した。


その同時期に、バイト先でお客さんとして来た彼に出会った。堅い職業に就く、6歳年上の彼。

すべて中途半端に生きてきた世間知らずの私にとって、彼はとてもとても大人で。彼から見れば、捨て猫を拾うような感覚だったのだろう。帰り道がわからなくなって橋の下で野宿するしかなくなった私を、拾ってくれた。
それからすぐに惹かれ合って、すぐに恋に落ちて、彼の住む一等地のマンションに転がり込んだ。




もちろん一筋縄にはいかず、大なり小なり問題は常にあった。
だけど彼とは、いろんな面でとても相性が良くて、素のままの精神状態をさらけ出せたし、社会経験もままならない私は、多くのことを彼から学ばせてもらったんだ。




だけどどうしても許容できない問題に陥ってしまった。彼は所謂ロリコンだったのだ。

それは性癖としての嗜好があるだけのことで。そういったビデオや写真で満足できる、実生活には支障をきたさないし、影響もない、と彼は言っていた。



結果、3年経っても私は許すことができずに、だんだんと心が離れてしまった。

若すぎる故に判断を間違ったのか、正しい判断をしたのかは未だにわからない。

だけど、それを知ってからというもの

一緒に街を歩き、小中学生とすれ違うたびに
テレビで見るたびに
雑誌で目にするたびに


『こんな子供に欲情するんだ』


そう思うと、頭から離れなかった。



どうしたって、私は老いてしまう。年を重ねるたびに、きっとつらくなってしまう。

永遠に小中学生の存在を恐れながら生きていくことになる気がして。耐えられなくて、別れてしまった。



彼と別れて、マンションを出ると、私はあまりに無力であったことを思い知らされた。

社会的地位もない。一等地のオートロックマンションも借りられない。せいぜい家賃4万円の、木造のアパートがいいところ。賃貸の価値で、人間の価値も測られているような気がした。




だけど心は晴れていた。もう無理して若いこ向けのブランドを着て気を引くことも、目にする中学生に競争心を燃やすこともない。

そんなこと、彼が望んでいたわけではなかったけれど

知らず知らずのうちに、そうしていた悪い癖。



高学歴だろうと高収入だろうと、精神衛生的に穏やかでいられない相手との生活はいかに苦痛であったかを実感した。きっともう、私がその性癖に気がついた時に、心地のいい関係は破錠していたんだろう。



あれから何年も経つけれど、あんなに話し込んでいて楽しい人には、同性でも異性でも出会えていない。


風の便りで結婚したことを聞いた頃には、私は子供が1歳を迎えようとしていた。

すべて終わった後だけど、また1つなにかが終わった気がした。




別れの時に『同性の友達だったならどんなによかったか』と言われたんだ。あの時は意味がわからなかったけれどなんとなくわかった気がする。

そして、いつしか出会った頃の彼の年齢を超えてしまった。


あの頃の彼と比べたら

社会的にも、人間的にも、
足元にも及ばないかもしれないけれど。


いつか、もしももう一度、彼に会うことがあったなら、いい人間になったなと思ってもらえるように

私は今日も自分を磨いている。

青春時代


いつの間にか過ぎ去ってしまった青春時代を振り返ると、

情熱的な恋愛も、

あれほど一緒だった友情も、

どれも終わりは曖昧で。



気がつけば30歳を目前にし、家庭を持ち、働いて。所謂”人並み”と言われる生活を送っている。



10代の頃から今の自分を比べると、相変わらずダイエットは成功していないし、部屋も汚い。秀でた才能もなく、誇れる経歴なんてものも特にない。



ただ、振り返ると輝かしい青春が確かにあった。




知らず知らずに失くしたもののなかで、
一番喪失感の大きかったものは、アカネという女友達だ。



中学2年から高校卒業までの5年間、女4人でバンドをやっていた。
練習は週1回、電車に乗ってスタジオへ行き、月に1度のペースでライブをやったし、遠征したりもして。



あの頃はバンドがすべてだった。毎日毎日一緒だった。名画スタンド・バイ・ミーの主人公にでもなったかのような気分で、4人でいればなんでもできる気がしたし、それだけでよかった。



そんな4人の仲も、卒業とそれぞれの進路で分岐点に差し掛かかる。それでもこの友情は絶対に壊れない。大人になっても、どこかで時間を合わせていつでも会えると。



そう、信じて疑わなかった。


なのに。

壊したのは私だった。





18歳。 2年程付き合っていた彼氏がいた。
私の勝手な心の移り変わりで、別れるか続けるか、曖昧な関係になっていたんだ。

都合よくキープしたくないから、なんて言いながら、それでも戻ってきてと言ってくれる彼氏に甘えきっていて、寂しくなれば連絡した。相手の気持も考えられないほど、脳内がお花畑な最低な女だった。




傷つけたのも、裏切ったのも私。


その時期に、アカネはその彼氏と、寝た。




お花畑の脳内で、起こったことを処理できなかった。


親友が。彼氏と。まさか。


私は自分がしたことを棚に上げ、残った意地をすべてかけて彼氏の部屋に残してきた私物を取りに行った。いや、奪いに行ったと言ったほうがいいほどの勢いで。

寒い寒い3月の夜。たぶん泣いていた。その時隣の部屋にアカネが隠れていて。
あわよくば最後くらい、二人の言葉でさよならを言えたら、なんて思っていたのに。


こんな惨めな姿、なんて滑稽なんだろう。敗者の烙印が押された気がした。
あぁ、あんた、こんな時まで完璧だよ。これで私は彼との最後の瞬間まで、騒ぐことも泣くことも留まることも許されない。敵いっこないよ。余計に悲しくなった。
負け犬が帰った瞬間、私をネタに二人はもっと近づくんだろう。



これで二人が付き合うなりするのならば、私が悪者になってしまえばハッピーエンドだけれど。
アカネからすれば、単なる遊びでの関係だった。ちゃんと付き合っていた彼氏がいたし、翌週には東北の片田舎から東京に進学してしまう。




それが余計に許せなかった。

一時の遊びでのゴタゴタをこの土地に置いて

自分だけ心機一転新生活なんて。





そうして、私はアカネに縁を切る宣言メールを送った。
嫌だと言っていたけど、もう無理だった。



この中で一番最低なのは私なのに。口を出す権利なんてないのに。
そしてわたしはアカネという親友を失った。

あれから何年経っただろう。未だに一度も連絡はない。私もしていない。




書きかけのまま私が勝手に強制終了してしまった4人の物語を思い返すと

失ってしまったアカネの存在はとても、とても大きくて。



あんなことを言わなければ
早めに謝って和解していれば

今年の夏も笑って4人で集まっていたのかな。



こうしてわたしの大切な青春の1つは、後味の悪いまま幕を閉じたのであった。