13年一緒に生きた愛猫とお別れした話
※生死にに関わる内容を含みます。
感じ方によっては一部残酷な描写が含まれるので、
苦手な方はお読みにならないでください。
運命的な出会いはなにも人間に限ったことではない。
モノにも、場所にも、そしてペットにも。
青春時代を共に生きてきた愛猫がいた。ギギというオス猫。
いまでこそネットで検索が容易になり、ラグドールかスノーシューという種類の猫の血統だったとわかったが、当時はハチワレの黒い顔をみて、皆口をそろえてシャムだといった。
猫にしては大きくて、体の割に臆病で。
私にだけべったりで、ベッドでもお風呂でも、トイレですら膝の上に乗っていた。
誰が見ても母親だと勘違いしているんじゃないかと思うほど懐いていた。
お互いにお互いが大好きで、紛れも無く家族の一員だった。
私は思春期をこじらせて、自分を大切にできなかった時期があった。
今で言うメンヘラというのに片足を突っ込んでいた。
うまく生きられなくて、命を無駄にしようかと頭をよぎったこともあった。
そんな時、ギギのことを撫でていると、この子を置いていけない。なんてことを考えてしまったんだ、と思い留まれたんだ。
そもそもの覚悟が足らなかったと言われればそれまでだけれど、私は命の恩猫だと今でも感謝している。
そんなギギも、13歳でこの世を去った。
交通事故で、即死だった。
今は後任の猫を絶対に室内から出さないように飼っているが、
ギギを飼いはじめた20年近く前、ド田舎の風習では外に出さないほうが虐待のように扱われ、なんの疑問も持たずに散歩に出していた。事故にもあわず、車通りも少なかったので、そのままずっと「出たい」といわれれば外出させていた。100%私の責任である。
近所のおばあちゃんが最期の時を教えてくれた。
最期まで親孝行な猫だった。
傷一つないキレイなままで、眠っているかのようにそこにいた。
例えどんな姿でも抱きかかえられたけれど。
まだ温度の残る、いつもと変わり無いようで全く違うギギを、
ついさっきもしたように、抱きしめた。
月並みな言葉だけれど、実感はわかず、涙も出なかった。
生後7ヶ月になった息子が不思議そうにしていた。
室内飼いの後輩猫は、箱に眠ったギギに寄り添って離れなかった。
理解できていないのは、私だけ。
何度も何度も自分を責めた。
油断していたんだ。今まで大丈夫だったから、って。
自治体の共同墓地で、火葬と埋葬をお願いした。
体重を測るとき、最期のお別れをしてくださいと職員さんは言った。
連れて来る前に、形見に少し毛を残してきたけれど
そんなんじゃない
そんなんじゃ
これで さいごなんだ。
初めて涙が出てきた。
あふれるような、という表現を初めて体感した。
本当にあふれて止まらないんだ。思い出も全部。
「長いこと、家族だった子です。どうか、優しく扱ってください」
そう言うのが精一杯だった
わかりました、大切にお預かりしますと言ってくれた職員さんにお願いして
私はギギとさよならをした。
あれから一度だけ夢に出てきてくれて
抱きしめて、ありがとうを伝えて
不思議と気持ちが軽くなった。
きっとお別れをしにきてくれたんだろう。
都合のいい解釈かもしれないけれど、
本当にあの夢に救われたんだ。
いまでも、呼びかければ帰ってきてごはんをせがんでくれるような気がしてる。
生まれ変わって本当の子供になってよ、なんて思ったりもする。
13年間ありがとう、ギギちゃん。
あの大切な日々の事を、ずっとずっと忘れない。