青春時代の清算を。

誰かとの出会いは、いつも書きかけのままで続きを探してる

物心ついた時からバンドをやってきて

我が家の母は音楽家だ。
なにも名の売れた音楽家ではないけれど
80年代のバンドブームに女二人でフォークユニット(ゆずみたいなの)をやって、
地元で初めて自己出版のレコードを出した行動派だ。

オリジナル曲を人前で演奏する人は私からすればみんな音楽家だ。

それは、曲をつくる大変さも、人前で演奏する場を設けることも、
自ら一歩踏み出さないと出来ないことだと知っているから。

そんな母を見て育ち、3歳からピアノを習い始め、
公立だが、運良く音楽推進指定校に選ばれた小学校に入学した。

一回召喚するのにウン十万とかかる、
合唱の大先生も年に何度か登場したりした。


三つ子の魂百までも、とはよく言ったもので
楽器を演奏する、歌をうたう、曲を作る、という行為を日常にした私は、
今だに音楽に携わっている。


初めて曲を作ったのは小学校3年生の時だった。
バンドを組んだのもその頃。
楽譜やタブ譜を読めれば、簡素化してコピーをするのは簡単だった。
小学生でギターを弾くなんて珍しいと先生も嬉しがって、
なにかにつけて行事でギターを弾く機会を与えてくれた。

中学2年になる頃には、ライブハウスに出入りして、高校生とバンドを組んでいた。
友達からはバンドやってるのすごいとか、かっこいいとか。
ライブハウスに中学生で出演したのはあなたが初めてよ、なんて言われ天狗になっていた。
いつの間にか、バンドをやっている事に酔っていたのだ。

そんなんだから、技術や中身は全然進歩しないまま、
自分はすごいやつなんだと勘違いしてしまった。
不良のメンバーの真似をして、反抗期をこじらせた。

いつしかバンドマンは元がつくようになり、
毎日親の目を盗んでは夜中に抜け出し、無免許の先輩の車に乗り込んで。
本当にアホだった。勉強なり自分磨きなりすればよかった。
その時しか出来ないことがあったのに、背伸びして大人ぶって、
同級生からは鼻つまみ者にされ、先生からは厄介者にされ。
部活も真面目にでなくなって、そんなマイノリティな自分かっこいいなんて中二病全開になっていた。

小学5年の時にお年玉で買ったヤマハの赤いエレキギター。宝物だったのに。ヤンキー街道への乗車券にしてしまった。

そしてどこかで、このままではいけないと気がついて。先輩と縁を切って、高校受験に励んだ。
無事に公立の高校に入学した時、親は嬉し泣きをしていた。
総合学科で自分なりの時間割が組み立てられる学校だった。
もちろん、音楽を専攻して、学業優先の純粋に音楽を楽しむバンドも組んで。
また3年間音楽漬けの日々を送った。


卒業後もいろんなところでバンドを組んだりライブをやったり。
一時はプロを目指した事もあったけれど、そんな器ではなかった。

私は自分の限界を知っていた。
秀でた才能もなく、容姿も三流。
いろんな賞をもらったりもしたが、そんな人はこの世界にゴマンといる。


スタジオに入って音を合わせるだけで気持ちよくて。
たまにライブをやって、内輪で楽しむようなヌルい慣れ合いをして。


いつしか日常の軸だったバンド活動は、趣味になった。


なるようにしてなってきたことだ。
諦めたとか、挫折したという感覚はない。
そもそも音楽で食べていこうなんてことは「あわよくば」程度の心持ちだった。

音楽を趣味に出来ただけ、私は幸せだとも思っている。


そうして培ってきた経験と人脈で、今でも楽しいバンド活動ができている。
一時つるんでいた不良の先輩たちは、いつしかママ友という交友枠になった。


あの頃、社会不適合者の集まりだと思っていた、私も含むバカの集まりは、
仕事で役職がついたとか、子供が産まれただとか。
選挙の話や株価の話ができるほどオトナになった。

たまに昔に戻って、思い出話や下世話も共有できる素敵な関係だ。


物心ついた時からバンドをやってきて。趣味と仲間を手にできた。

今でも続きがある青春の1ページ。
私はこれからも大切にしていきたい。